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はじめまして、谷村美術館です。
新潟県の西端、糸魚川(いといがわ)市に所在する「谷村(たにむら)美術館」と申します。
どんな美術館?
なぜ糸魚川に?
どうしてこんな形?
初note記事では、これらのよくあるご質問についてお答えしていきながら、当美術館を紹介させていただきたいと思います。
ぜひお読みいただけたら嬉しいです。
谷村美術館ってどんな美術館?
「谷村美術館」は、今から約40年ほど前・昭和58(1983)年に創設された、静岡県熱海市生まれの木彫(もくちょう)芸術家・澤田政康(さわだせいこう)氏の作品のみを展示する『澤田政康作品展示館』です。
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美術館の建物を設計したのは、佐賀県唐津市生まれの建築家・村野藤吾(むらのとうご)氏。村野氏の最晩年・92歳時に設計されたこの建物は、仏像彫刻を中心とした10体の澤田氏作品のためだけに作られ、自然光と人工照明が巧みに組み合わされて、各作品が一番美しく見えるように空間設計がなされた美術館となっています。
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なぜ糸魚川にあるの?
熱海市生まれの澤田氏の美術館が、なぜ新潟県糸魚川市にあるの?
これには「三つのご縁」が関係しています。
①愛弟子・石塚裕康(いしづかゆうこう)が糸魚川出身であった
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②澤田氏の作品を高く評価していた文人・相馬御風(そうまぎょふう)が糸魚川出身であった
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③谷村建設(糸魚川市)初代社長・谷村繁雄(たにむらしげお)が澤田氏の仏像と出会った
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三つのご縁の繋がり
関東大震災時、東京に住んでいた澤田政廣(当時29歳)は、疎開の為愛弟子の石塚裕康と熱海へ向かいますが、交通状況が悪く迂回を余儀なくされます。
このことにより思いがけず裕康の郷里糸魚川へ向かうこととなったのですが、この来訪はかねてから政廣の作品を高く評価していた相馬御風(当時40歳)と政廣が初めて顔を合わせるきっかけとなります。二人の親交はその後も長く続きました。
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そこから50年以上の時を経て…。ある日、奈良の寺院で政廣の仏像と出会った谷村繁雄は大きく感銘を受け、政廣に新たな仏像の制作を依頼します。その申し出は仏像制作にとどまらず「(政廣作品だけを集めた)展示館を開きたい」というものも含んでいました。
この申し出を聞いた政廣は、半世紀以上も前、弟子の出身地である糸魚川を訪れ、その際かねてから政廣の作品を高く評価していた相馬御風と出会ったことを思い出し、この度の糸魚川の会社社長からの申し出に大変感慨深いものを感じ快諾したのでした。
(雑誌「一枚の繪」158号 連載記事『折々に刻む』最終回・谷村美術館のことども』より)
糸魚川市に谷村美術館(澤田政廣作品展示館)が誕生したいきさつは以上のようなものとなります。
どうしてこんな形?~建物の特徴~
当施設は、全国各地より美術館建築の見学を目的においでになる方が多いことも特徴です。
美術館の設計は、澤田氏が尊敬する友人であり、澤田氏と同様に昭和天皇より文化勲章を受章した建築家・村野藤吾氏により手掛けられました。
澤田氏からの設計依頼当時、村野氏は東京の「新高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル新高輪)」の設計を手掛けていたところでしたが「手造りの建物としてそれを最後にしたい。」と、依頼を引き受けられたそうです。
入館受付を終え、入口回廊に入ってすぐ目に飛び込んでくる美術館の外観は「シルクロード砂漠に立つ遺跡」をイメージして作られたもの。
受付建屋と美術館を結ぶ長い回廊は「来館者が仏像に出会う前、長い回廊を歩いているうちに、心を鎮めて頭を垂れるような心境にたどり着けるように」という意図により設計されています。
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館内の各展示室は、予め設置が決まっていた10体の仏像に合わせてそれぞれの空間が形作られ、「自然光」「人工照明」両方を組み合わせて、来館時の天気や季節・時間帯などにより、違った趣で仏像を鑑賞していただくことができるように作られています。
鑑賞順路について
他の美術館におそらく見られない、この美術館のとりわけ大きな特徴は独特の「鑑賞順路」にあるかと思います。美術館内には順路表示が無く、一番最初に入ることとなる展示室前の足元に小さな矢印表示が一つあるだけです。
各展示室を出る瞬間に前方(または周囲)に「一体だけ」仏像が見えるように設計されており、部屋を出る度にその時見える仏像に向かって歩いて行くことで、まるで巡礼の旅をしているかのように次の仏像に導かれながら、全ての展示室を回ることができるように作られています。
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※美術館内観は申請により撮影が可能です(建築部分のみ)
※谷村美術館では現在、1日に2回「自然光鑑賞」の時間を設けています。
美術館自体は自然光と人工照明を合わせた状態で見ていただくことを前提に作られていますが、自然光のみで見ていただくことで、電気の無い時代にシルクロードの仏教寺院にいるかのような、不思議な感覚を味わっていただくことができるかもしれません。
もともとは建築ツアーで自然光の取り入れを見ていただくために始まった自然光鑑賞ですが、現在は定刻イベント(11時/15時)として、建築ファンのみならず一般のお客様にもご体験いただけるようになりました。お時間の都合が合えば、ご来園の際にはぜひ自然光鑑賞もお楽しみください。
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おわりに
第一回目の記事では谷村美術館の内容と特徴について紹介させていただきました。
楽しんでいただけましたら幸いです。
次回は、併設施設『(池泉鑑賞式庭園)玉翠園』についてご紹介させていただきます。